立派な茅葺きの旧家の再生工事に伺っております。

イタリア漆喰ラスチコ Monoシリーズ サボナ色を採用して頂きました。

時代を感じる立派な梁や天井との調和が良く、
まだ施工中とは言え とても落ち着いた空間です。
無断の転用はご遠慮願います。松岡瓦産業株式会社
立派な茅葺きの旧家の再生工事に伺っております。

イタリア漆喰ラスチコ Monoシリーズ サボナ色を採用して頂きました。

時代を感じる立派な梁や天井との調和が良く、
まだ施工中とは言え とても落ち着いた空間です。
無断の転用はご遠慮願います。松岡瓦産業株式会社
骨材最大粒径:0.8mm
・・
厚塗り仕上げ材:塗り厚3mm〜30mmまで
※パッケージ袋デザインは予告なく変更する事があります
・・・
主 成 分 : 消石灰・無機骨材・粉状鉱物色素
・・・・カルシウム・マグネシウム
※水和硬化型:練り置きはできません
・・・
適 応 分 野: モルタル・軽量セメント・れんが・セメントブロック・
プラスターボードなど
仕 上 げ : 平面、掻き落し、コテあと残し、装飾など
仕上げ表現自在
■テクスチャー: 仕上げ例「コテなみ拝見!」
(モーノシリーズによる仕上げ写真も含まれています)・・・

・・・
※室内・外壁での使用可能
金コテ・プラスチック鏝・ブラシ・刷毛・筆ほかを使って塗布
軍手やゴム手袋を履いて直に塗る事もできます。
・・・
技術データ
原 産 国 : イタリア (Vimark s.r.l 製造)
粉の 比重 : 1.3kg/リットル
混合時ph値: 13
防 火 性 : MO(防火性あり)

製品表示 (左から)
① 天然水硬性石灰のよる製品
② 修復適合商品
③ 生体適合性と環境に優しい商品
・・・
カラーバリエーション
国内基本在庫色:全2色
(色名をクリックすると各色の施工例ページへ)
特 注 色 基本的に在庫しておりませんので、
入荷までかなり時間がかかります
・・アボリオ・ ・ぺスカ ・・ジャロ・ ・・・・ジャロ・・・

無断の転用はご遠慮ください。Copy right:Matsuoka roofing inc.
骨材最大粒径:1.5mm
・・・
厚塗り仕上げ材:
塗り厚3mm〜30mmまで
※パッケージ袋デザインは予告なく変更する事があります
・・・
主 成 分 : 消石灰・無機骨材・粉状鉱物色素
・・・・カルシウム・マグネシウム
※水和硬化型:練り置きはできません
・・・
適 応 分 野: モルタル・軽量セメント・れんが・セメントブロック・
プラスターボードなど
仕 上 げ : 平面、掻き落し、コテあと残し、装飾など
仕上げ表現自在
■テクスチャー: 仕上げ例「コテなみ拝見!」
(アニーノによる仕上げ写真も含まれています)・・・

・・・
※室内・外壁での使用可能
・・・
技術データ
原 産 国 : イタリア (Vimark s.r.l 製造)
粉の 比重 : 1.3kg/リットル
混合時ph値: 13
防 火 性 : MO(防火性あり)

製品表示 (左から)
① 天然水硬性石灰のよる製品
② 修復適合商品
③ 生体適合性と環境に優しい商品
・・・
カラーバリエーション
国内基本在庫色:全6色
(色名をクリックすると各色の施工例ページへ)
・ロレンツオ・・・ リビエラ・・・・ ベージュ・・・・・・・・・・
・・・
特 注 色 基本的に在庫しておりませんので、
入荷までかなり時間がかかります
・・カ カ オ・・・・・・メンタ アルジェ
・・・・・
copy right: 松岡瓦産業株式会社 ●無断の転用をご遠慮願います
まだ梅雨・後期の雨がたくさん降るこの時期、ラスチコ壁でお客様から
施工後、何年か経っての「メンテナンス」について、ご相談を受けます。
施工前
施工後⇒
※写真は、教会(イタリア・Vimark社提供)
先日は朝一で、遠方のお客様から電話があり、急ぎのご様子。
自然素材のラスチコ壁の良さをよくご理解・納得の上、4年ほど前に外壁で
ご使用頂いていましたところ、通りがかりの何かの業者を名乗る人に、
ヘアークラック(髪の毛のような細いヒビ)を指摘され、外壁全面のペンキ
塗装工事:見積金額300万円の契約を、翌日中に迫られたとのこと。
施主様も現状のラスチコの風合いや外観・室内の質感には満足して頂いて
ヘアークラックや汚れの事は、施工前より想定内ということで冷静に弊社に
ご相談・対応頂き、結果的には、事なきをえました。

大きな亀裂は、建物の構造上の問題ですので、仕上げ材であるラスチコや
ペンキで対応できませんが、
ヘアークラックは、ごく表面的な現象ですので、とても気になる場合は、
ごく少量を塗り足すという事も可能です。
ですが、新旧素材の色調の違いが目立つ事もあり、あまり気にしすぎると、
”全面塗り替え!”などと、ドンドン無用なご心配につながります。
また、「汚れ」につきましては、カビ・排気ガス系油脂系・植樹やコケ等の
バイオ系の着色などがあり、長年の黒カビなどは、きれいにするのは難く、
それぞれの汚れにより対応が異なります。
ラスチコは、お住まいの壁材として、塗り替えなどなく、
永らく使われている自然壁材です。
完璧ではありませんが、ラスチコで 「できること・できない事」は
お伝えできますので、ご心配ごとは、まずご相談くださいませ。

毎度ありがとうございます。ラスチコです💛
とても久しぶりになりますが、施工要領書を改定しました。

”改定”とは言っても、前回改定以来、たくさんの実際にご使用頂いた
贔屓の左官さん、職人さんに ご紹介頂いた 優れた「推奨材」を追加したり、
より良い施工の為に、注意事項やポイント・コツを具体的に追記したりして
バージョンアップしました。
無骨に、いろいろ書いておりますが
施工前には是非ご熟読の上、ご使用くださいませ。
もう少ししたら、↓らすちこサイトでも掲載します。
イタリア原産・自然天然しっくいです。
今後共、よろしくお引立てくださいませ。

Buon Giorno a tutti!皆さま こんにちは💛
このたび、”らすちこサイト”(イタリア漆喰ラスチコ公式ホームページ)に、
イタリア製造元ページを新設しました⇒ https://1rustic.com/vimark

これまで通り、”在庫お知らせ”など、随時状況をお知らせ致しておりますので、
よろしければご覧下さいませ。

公式サイト:https://1rustic.com
第12話 松葉に瓦 
12月、2度目の“覚悟の家出”からシゲオは、しれっ~と家に戻りました。
そろそろ戻ってくる頃と、実は首を長くして待っていた両親は、嬉しそうな素振りも見せずシゲオには何も言わず、何も聞きません。
瓦製造は、炉の火入れ・火止め、いぶし工程などの作業の都合、目と手が離せない時間帯がバラバラで、もともと家族全員そろってご飯を食べる事はほとんどないものですから、シゲオはしれーっと家でご飯を食べ、店に出たり、瓦製造の現場で作業をし始めました。
そうして迎えた1946年正月、さすがに、炉の火も止めて正月休みに、父・俊次は、次男シゲオだけを座らせて、言いました。
「村でも、何人も徴兵されて戦死された若い衆がおられる中で、ワシら家族は、みんな無事で、こうして正月を迎えられとる。
ワシら夫婦が田んぼと瓦を作って、今までなんとかやって来れたのは、この地のおかげさんや。
商売はじめに、お寺さんに助けてもろうて、一帯の大地から土をもろうて瓦を作りよるし、山からは燃料の松葉を使わせてもらいよる。
お前が、外へ出てやりたい事があるのはようわかるが、戦争で命を取られずにすんだ事に感謝して、この生業でここから社会に恩返しせい。」
そばに、母ちか もいて黙って聞いています。
シゲオも黙って拝聴し、静かに退散。
思う所は数々あれど、まあ、親の庇護を離れてトンチンカンな事をするより、進学は叶わなかったけど、親の敷いたレールで、人より早く、ひとはた上げる道を探すしかないわな~という結論に達しました。
それからは、商売の方で、俊次とちかは、監視的な立場になり、長男とシゲオで瓦屋の工場と店を仕切るようになりました。
長男は現場で、シゲオが家出中も、父・俊次の指示に従い、毎日コツコツ工場で同じ作業をまじめに繰り返しているタイプの人で、一方シゲオは、瓦づくりの現場で原料の混錬方法や、炉内の温度管理やいぶし工程のコツなど、“窯業“としての要領を押さえる傍ら、昼間は店にいる事も多く、帳簿管理、資金繰り、従業員の雇入れなど、1人でやっていました。
ですから、シゲオが店の資金繰りをするようになってからは、長男もシゲオも、給金という形で、毎月対価を得て蓄えるようになりました。
昼間、店にいることが多いと、“松岡瓦”と呼ばれていた俊次の店は、その当時、神崎郡田原村近くにいくつもあった瓦屋さんの旦那衆のたまり場になっていましたから、シゲオは好むと好まざるとに関わらず、色々な情報センターとか相談所みたいになる訳です。
まだ若輩のシゲオは、年上の先輩方から結構可愛がられるタイプで、その好奇心も相まって、新しい社会制度や、製造の知識、株や法律の事など、たくさんの事を教えてもらえました。
ある時は、相談事から始まって、この村で瓦組合を作ろう!という話になり、シゲオが(まだ未成年なのに)事務局長として、原材料仕入れの一括化や、万が一の互助制度を検討した事もありました。(目指したところは崇高でしたが、設立前に立ち消えになりました!)
そんな中で、(近くのどちらの瓦屋も看板もないような個人商店だったのですが)シゲオは、出資者を募って会社組織にすれば、銀行からお金を借りたり、設備投資したりして、従業員をたくさん雇える。瓦屋も機械を使って、たくさんの従業員でやれば、もっとたくさん作れるだろうし、新しい住宅が建つ時に役に立つのに…。という思いを強くしていきました。
それとは別に1946年10月のGHQの意向を取り入れた第2次農地改革が奏功し、1947年3月ごろまで、全国的に農地解放が進み、シゲオの住む兵庫県神崎郡田原村でも、小作だった農家の方々が農地を所有するという動きがあちこちで見受けられました。
俊次自身は庄屋の家系で、先祖伝来の田畑を田原村付近に所有していましたので、農地解放で土地所有することに積極的ではありませんでしたが、「これからは、それぞれの家で田畑や土地を所有する時代だな。」と実感するようになります。三男坊の俊次でも親から田畑を譲り受け、そこで生活しているように、俊次の息子たちにも、その田畑を分け与えなければならないと考えたのです。
そこで、家と瓦の工場がある土地を長男に、シゲオには少し南側へ離れた船津村にある瓦の製品置き場として使っていた土地を譲ると、俊次は宣言しました。
1947年秋、長男もシゲオも三男もまだ成人していませんでしたので、登記などはしませんでしたが、17歳になって間もないシゲオは、父の土地譲渡宣言以来、着々と会社設立の構想を広めていきます。
折しも、近所の瓦屋の旦那衆との組合設立や会社設立について、我が事のように村の司法書士さんに相談し、法的な事を細かく質問し教えてもらっていたシゲオは、自分で瓦製造販売の会社を設立しようと思っていたのです。
いや、それだけでなく、その次の事も次の次の事もと、いろいろな事ができそうだ💛!と、その時既に構想はどんどんふくらんでいました。
こうして、準備万端整えたシゲオは、1949年2月24日、父から譲り受けた神崎郡船津村(現在の姫路市船津町)の地に、神崎製瓦合資会社を設立しました。
この頃、個人商店から会社組織に変更したり、新しく設立された会社形態として
“合資会社”は斬新な感覚で受け止められていたようです。また、父・俊次が始めた通称:松岡瓦と呼ばれていた個人経営店は長男がまじめに続けていく予定でしたので、俊次とも相談し、“松岡瓦”という名称は使わず、姫路城に献上の瓦として地元では誇りをもっていた“神崎瓦”の名を戴いた会社名としました。
松岡瓦産業株式会社の前身であります。
神崎製瓦合資会社(資本金180,000円) 業務内容:瓦の製造・販売
無限責任社員(株式会社で言う代表取締役):松岡俊次
有限責任社員( 〃 取締役):松岡茂男・松岡ちか
設立登記当時、茂男はまだ18歳で未成年であった為、創業者である俊次に法的に社長として名を連ねてもらう事にしましたが、瓦を焼成する炉の設置をはじめ、事務所などにかかった資本金180,000円は、全て松岡茂男が工面し、茂男がたった1人で実質経営する組織がスタートしたのです。
法人に名を連ねた両親:俊次とちかは、“金は出さないが口は出す”というタイプで、競走馬みたいに突っ走る茂男を、傍目から何かと心配し、用心しなさいと、茂男にとっては口うるさく感じられる事もありました。
しかし、やはりこうして若輩ながら自ら会社を設立し、いろいろチェレンジして試行錯誤できるのも、両親の七光り。進学できなくても這い上がるド根性を叩き込んで育てた両親のおかげ…。ド根性だけで、自分1人だけでは、ここまで出来んわな~。そんな事をしみじみ思うようになりました。
茂男が会社を設立した1949年頃でも既に、世の中の大きな会社は、みんな社章があり、社旗や看板、名刺にもそれが載っておりました。
自分の商売初めに「よし!ウチも社章っちゅうモンを作ったろ!」と思った時に、頭をよぎるのはやはり、俊次とちかの商売初め:まだ幼い自分たち兄弟はそっちのけで、窯から二人が、ススのついた瓦を大事に大事に1枚ずつ取り出し、服や顔がススだらけで、1枚ずつ瓦の表面を見極める光景でした。
歴史好きで近代歴史小説も読み漁り、財閥系の社章への憧れがあった茂男は、井桁のような形状の社章にしたいと思い、当時、瓦の焼成用の燃料に使用していた乾燥させた松葉を両親に見立てて掛け合わせ、中に瓦の文字を入れるデザインを考案しました。…創立者:松岡茂男の回心の作であります。
以来、戦後の復興で住宅の新築や、とりわけ1950年9月に淡路・阪神地区に上陸したジェーン台風での被害で、屋根瓦は造っても造っても足りない状態で、茂男は順調に業績を伸ばしていくことができました。
1956年6月には、兵庫県神崎郡福崎町が合併に伴い、新制町長・町議会議員選挙があり、松岡俊次は初代町議会議員に選出されましたので、その頃から神崎製瓦合資会社の代表者を退き、松岡茂男が就任しております。
1961年には、瓦屋根施工を開始し、社名を松岡瓦産業合資会社とします。
その後、会社設立や吸収合併を経て2004年に、松岡瓦産業株式会社 となりました。
昭和のはじめ、俊次とちかの2人で始めた“創業期ものがたり”は今、平成を超え、令和の時代にも、松岡瓦産業株式会社のむかし話として語り継がれています。
そして、創業の2人の姿を瞼に焼き付けた創立者が考案した社章:“松葉に瓦”は、多くの方々に助けられお世話になって今がある 松岡瓦産業株式会社の社章であります。
松岡瓦産業株式会社と共に、これからも末永く皆様にご愛顧賜りますよう
社員一同お願い申し上げます。
完
社史・沿革のページ https://matuokak.co.jp/gaiyou#section-63
松岡瓦産業㈱ サイトTopページへ https://matuokak.co.jp
第11話 配 給 米

福井駅に着いた時は、あたりはうす暗くなりつつある頃でした。
北陸の11月半ばの夕刻は、初めてやってきたシゲオにとっては、兵庫県神崎郡田原村の家より思った以上に風が冷たく寒く感じられます。
しかし寒い地域が故に、冬の本格的な寒さまでに少しでも復興を急ぐ人々に、街全体の活気と迫力があり、若干15歳の男子は、駅舎の人混みを出て、武者ぶるいと寒さでブルっとなりました。
寒い地域で冬を越すのだから…と、家を出る前、父・俊次の小マシな冬用の上着を無断で拝借して、福井までの道中、汚れるという想定で裏返しに着用していたのですが、まずは、ヨレヨレながらも表側に直して、自分ながらにきちんと着用し直しました。
そして、家の近所のおっちゃんから教わって自分で書いた“履歴書”を、大きなカバンからポケットにそっと入れ直し、混沌とした初めての地を、暗くなる前にどこか建設現場とか会社を見つけたい!と、歩き始めました。
ワクワクのような好奇心だけで、自然と川に向かって南の方向へ歩を進めていました。復員兵や闇市のような街の様子にも心配や不安など全くありません。
シゲオは「ビルや橋を作る大きな会社」を探していた訳ではありせん。
自分の力を試させてもらえる建設屋さんはないかなぁと、歩いていると10分もたたないくらいで、貨物トラックの「…建設工業」という部分が目に入りました。
「わっ!これだ!!」と、そちらの方向に行くと、前田建設工業とペンキで書かれたトラックが1台あり、入口付近には自転車の他に、オートバイも1台あります。
「ボクはここで働くんやな!と確信して、玄関を入ると、その時は、中に3人の男の人がいて、谷口さんという1人の男性が「ボク?何か用事か?」と対応してくれました。
兵庫県から1人で福井市の復興地で仕事がしたいと履歴書を持ってやってきた少年に、谷口さんは多少驚いたものの、その時、復興のための工事現場では人手は大歓迎な状況だったので、即面接・即採用となりました。
面接で、シゲオは
両親は兵庫の田舎で田畑もあり瓦製造をしており、自分は次男坊で本当は裁判官になりたかったけど、進学の夢叶わず、戦後の焼け野原を知って、日本で橋やトンネルやビルを作る仕事をしたいと思った。そんな時に福井市の復興計画を知り、福井で一人前になりたいとやって来た。
と、ここまでは正直に、持参した履歴書と共に説明。すると、谷口さんは、差し出した書類に自筆で記入するよう指示します。
その書類は、労働者プロフィールで、両親の名前や実家の住所、最終学歴まで記入する必要がありました。
…シゲオ、ほぼ全て、臆することなくスラスラと記入しましたが、「最終学歴」のところで、たくさんの事を考え、0.5秒くらい手が止まります。
…小学校しか卒業していないけど、正直に書くと採用してもらえないよな~。でも“さいしゅうがくれき”という漢字も読めるし、意味も分かる。なんてったってボクは、姫路中学へも余裕で行けるくらいの学力はあるって、山口先生も言ってたし、そのへんの中学卒くらいの事は、自分で身につけてるしな~…と、
0.5秒の間、思いがかけめぐり、さすがに名門:姫路中学の名を書くのは遠慮して、姫路中学の近くいある「白鷺中学・卒」と、えーいっ!とウソを書いちゃったのです。
0.5秒の間も含め、終始シゲオの所作を見ていた谷口さんは、シゲオの受答え、持参の履歴書と同じくバランスのとれた文字の配列と、書類記入の速さを高く評価しており、「白鷺中学卒」は何か事情がある方便だろ! と見破っていました。
当時の義務教育制度は変更とか改正の連続で、当事者であった若者たちが翻弄された時代です。生年月日からして15歳のシゲオが、11月時点で旧制中学を卒業しているとは考えられないからです。
それでも谷口さんは、シゲオの好奇心に満ちた黒い大きな目がキラキラ輝いているのに大きな潜在力を感じ、工事現場の作業員ではなく、現場管理職である自分の部下として採用する!と即答です。
30分ほどのやり取りの間に、外は暗くなり、事務所には次々と工事現場からの作業者のような人達が入っくる中、谷口さんは、そのうちの1人にシゲオを紹介して、その日の夕食と寝る場所を確保してくれ、翌日朝7時出社するようにシゲオに命じました。
朝から何も食べておらず、その日は駅舎とかどこかで野宿も覚悟していたシゲオにとっては思いもよらず、とても有難いことでした。
「この会社、どんな会社か知らんけど、食料がない時に、ボクみたいな“よそモン”の若造にもちゃんと接してくれてや。ここで一生仕事しようって思うもん!」
と、その時、シゲオは「人を雇う」という事の大切な心得を学ぶのです。
翌日、7時に出社すると、シゲオは谷口さんの運転するオートバイの後ろに乗せてもらい、3か所の工事現場に移動し、同行しました。
当時としてはまだ見たこともなかったユンボやショベルのような建設機械が置いてあったり、道路整備工事の様子を目のあたりにして、シゲオはワクワクし、じっと黙って谷口さんが、現場の人と話す内容を聞きました。
それらが終わると、ひとまず事務所に戻り、シゲオの住む場所として事務所の隣接の小さな建物の4畳半の1室を指定されました。家賃は不要でしたが、食事はもちろん自分で手当しなくてはなりません。
「とりあえず最初の賃金は1週間後なので、はやく配給米の手続きをとりなさ
い。それまでの飯は闇市で買うしかないよ。
最初の給金日までは、私が出かける時について来なさい。それ以外は事務所で雑務なんでもやりなさい。」
「はい。よろしくお願いします。」と、元気いっぱい頭を下げたものの、シゲオが少々気になる事がひとつ!「配給米の手続き??」
今の日本では想像もつきませんが、戦時中の食料不足は、敗戦直後であった当時
はさらに深刻化して、公務員ですら餓死者がいたほどで、主食であるコメは市町
村が管轄する配給制でした。
一家に1冊、米穀(配給)通帳が配られ、1日あたりの米の配給量が記入されて米
の取引自体を統制されていたのです。
そして米穀通帳は、今で言う運転免許証やマイナカードのような身分証明の役
割もありました。
シゲオは、日ごろ自作農家の子として、戦時中も終戦後も食糧調達についてはさして気にしておらず、家から3000円という大金を持ち出していたので、福井で就職先さえ決まれば、自分1人食うことくらいは何とかなると高をくくっていたのです。
家を出る前に、履歴書についていろいろ教えてくれた近所のおっちゃんは、まさかシゲオが福井県で就職を考えているとは思いもよらなかったので、米穀通帳の事まで話は及びませんでした
また、子供の頃からこれまでの人生で、お仕置きとか両親への反発とかで数日間、食事ぬきでいた経験に自信を持っていたので、シゲオには、多少の空腹や米調達に対する心配はありませんでした。
しかしです!闇市などまともに値段を調べたことがなかったシゲオは、福井の闇米の価格を見て回り、驚きます。「た!たっ高いっ‼」
贅沢など思ってもいませんが、闇米だけで、稼ぎのほとんどを費やしても足りないくらいです。食べない訳にいきませんから、すぐに、谷口さんに言われた通り、故郷の村役場へ、米穀通帳を発行してもらうよう郵便を送りました。
一般的な家庭用の米穀通帳は、通常一家に1冊とされており、松岡俊次の家では、
俊次・ちか夫婦とシゲオを含む4人の子供の名前と米の配給量が記載されているものです。シゲオからの米穀通帳発行の依頼郵便を受け取った村役場の人は、俊次・ちかの家までやって来て、通常は15歳の子供だけに米穀通帳を発行する事などしないことを伝えました。そして、ちかに、これはどういう事情かと、尋ねました。・
これをさかのぼること、5日前、ちかは、シゲオが残したメモ書き:「ひとはた上げて戻りますのでしばらく家出致します候」を見つけて以来、どこへ行ったやら検討もつかず、敗戦後の治安の悪い世の中で、死んでしまったりしないていないか、実は俊次と共に、夜も眠れないほど心配していたのです。
そこへやって来た村役場の人は、本当に良い知らせを持ってきたのでありました。シゲオの差出住所もわかり、元気で生存を確認すると、筋金入りの両親:俊次・ちかは、毅然と、「絶対に米穀通帳を発行しないでください。この子は家出中なので、もし発行すると戻って来ませんから。」と即答です。
福井市にいたシゲオは、故郷の村役場への郵便事情もわからず、まずは1週間後の給金日まで、家から持ち出したお金でなんとか食いつなごうと待つ計画でした。仕事では、各工事現場へお使いに自転車で走ったり、事務所で雑務と掃除の傍ら、時々谷口さんに同行させてもらって、本人は、「今回の家出はうまくいった💛少しずつ仕事を覚えて、立派な建設屋になるぞ!」と、満足かつ充実していました。
気になるのは、米穀通帳。
故郷の村役場へ発行依頼をして2週間以上経った頃、待ちに待ったシゲオの元に届いた故郷・田原村 村役場からの書面は、米穀通帳ではなく、「15歳の家出中の子供に、両親の許可もなく米穀通帳を発行しません」という内容のものでした。
…シゲオ、事務所の昼間というのに、あたりが真っ暗になり、身体から力が抜けていきました。
「ああ、またお父ちゃんとお母ちゃんにボクの夢を切り取られてしもうた…。
配給米ですら食べられないんだったら、生きていけない…。」
そして3秒くらいの間、15歳の少年シゲオの頭の中で、様々な思いがめぐります。
「1人前になるとか、ひとはた上げると言ってココまでやってきたのも、所詮お父ちゃんの上着や家のお金を持ち出して今こうしているんやなぁ…。
お父ちゃんもボクが死ぬか生きるか困るのわかってて配給米を止めたんや。
それほどボクに帰ってきてほしいんやわなぁ…。家にはアニキも、三郎もいるのに、ボクがおらんとあかんってことか…。」
その日の夕方シゲオは、事務所に戻って来た谷口さんに、配給米を受け取れない事情を説明し、お世話になったお礼と暇乞いをしました。
谷口さんは、シゲオが両親に無断で家出をしてきたとは思っていなかったので、
「それでは仕方ない。残念だけれど、早くご両親の元に帰ってあげなさい。」と快諾してれました。
師走12月になって風の冷たい中、シゲオは翌日には福井駅から故郷までの列車に乗りました。満員の列車に立って揺られながらシゲオは思います。
結局、3週間程度の福井市での就職で、またしても、夢破れて山河あり!
気分的には荒涼とした感じでしたが、厳しい社会状況下の限られた条件の中で、自分なりに挑戦したという少しだけの充実感と 戦後も両親が存命で庇護されている自分という存在の“有り難さ”を感じる素直さも残っており、この運命を受け止めて自分は、さてこれから、どう生きていってやろうか!と、前向きに考えていたのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
後日談ではありますが、
シゲオは、福井で、瞬間でシゲオを評価し、真摯に対応してくれた谷口さんの仕事ぶりは忘れたことがなく、あの事務所は今頃どうなっているかと気になっていました。インターネットなど、まだない頃ですから、戦後の復興事業が一段落したら、あの事務所もなくなっているかもなぁ…。という思いもありました。
あれから、20年くらいが過ぎた頃でしょうか…。
公開株式市場の情報で、あの福井市にあった事務所とは、準大手ゼネコンの、株式会社 熊谷組の発祥の地であることを知り、谷口さんは、戦後の㈱熊谷組の施工力を支えた立派な方だったんだと確信しました。
人生の出発点で、シゲオに大きな影響を与えた、人にやさしく温かい、頭脳明晰で即断即決、仕事のできる頼れる上司だったと改めて振り返り、懐かしく思いました。
次へつづく・・・
松岡瓦産業 創業期ものがたり もくじ のページ からご覧ください。
https://matsuokak.hatenadiary.com/entries/2013/09/24
松岡瓦産業㈱ サイトTopページへ https://matuokak.co.jp
社史・沿革のページへ https://matuokak.co.jp/gaiyou#section-63
厚塗り材であるラスチコは、
蓄熱効果を高め、炎のまわりが良くなるので、
ピザ釜の仕上げ材として、各地で既にいろいろとご使用頂いております。
また、見た目も、
それぞれに独特の雰囲気を醸し出して、多くの方々から
結構ご好評頂いているようで、ご紹介致します。
.
⇒ご紹介ブログ: http://d.hatena.ne.jp/marcolo/20110708

〜 施 工 中 〜
.
さてこちらは、ピザ窯の隣に、バーベキューコーナー併設の”システム炉”です。


.
またこちらは、軽トラに載せて移動できる”トラカフェ”用ピザ窯です。

なにせ厚塗りですから、弊社お勧めのガラスメッシュ(グラスファイバーシート)をご使用です。

★グラスファイバーシートご紹介ページ:http://www.matuokak.co.jp/vimark7.htm

〜 稼働中 〜 チャームポイントから、私共は勝手に、”なみへいさん”と、読んでおります。
⇒ご紹介ブログ: http://d.hatena.ne.jp/mikamsmatuuu/20120904
.
そしてこちら、キャンプ場に設置され、皆さんから愛用される”Qちゃん”窯です。。

⇒ご紹介ブログ: http://d.hatena.ne.jp/mikamsmatuuu/20120825
.
ラスチコTopページに戻る:
https://1rustic.com ![]()
照明・撮影時間・角度などにより、同じ色調でも視覚的にイメージが異なる場合がございます。
ご容赦ください。
無断の転用はご遠慮ください。
copy right: Matsuoka roofing inc.
まつおか瓦産業株式会社
特別な空間で、個性的な仕上げをされている例をご紹介させて頂きます。


室内に、こんな洞窟!?も。・・・プロの手にかかれば可能なんですね。
左官さんによると、「汚れても味になるよう仕上げました。」とのこと、・・・絶妙です。

天井も、壁面と同じく風合いのあるテクスチャーで、

「天井部分は、かなり塗りやすかったです。」とのコメント頂きました。
(私たち:塗り素人にとっては、天井を塗る作業は、難しぃと思ってしまいますぅ・・・。)

こちらのカウンターも、ラスチコ製ですね。
文字も入っていて、”ヴィンテージもの”の皮が、ふわっと掛けてあるかのようです。

いろいろな表情がありますが、統一されたテクスチャーが、”空間の雰囲気”を醸し出しています。

またこちらの空間は、展示されたものです。

お便りから・・・・、「 ↑ 素人の方とDIYで作りました。
初めての人でも、コツを教えれば、塗りやすい材料 ってことです。」とのコメントも頂きました。
ラスチコ areninoシリーズ:ビアンコ色をお使い頂いております。
テクスチャーの魅力を全面に、そしてラスチコの良さを、ほんのか表現して頂き、
ありがとうございました。

ラスチコTopページに戻る:
http://www.1rustic.com

照明・撮影時間・角度などにより、同じ色調でも視覚的にイメージが異なる場合がございます。
ご容赦ください。
無断の転用はご遠慮ください。copy right: Matsuoka roofing inc.まつおか瓦産業株式会社
レンガ造りの建物の内装・外装すべてに
ラスチコが、使われています。
どうぞご覧下さい。


イタリアでは古くからの建物に手を加え、常に快適に、住まいやすくリノベーションされて使われ続けています。

とってもイタリアらしい 外観です。

昔は全く違う用途であったはずですが、ステキな寝室です。

ワイナリーとして使われていた部屋です。
ラスチコが天井・壁すべてを覆い、ワインの保管に、ラスチコが一役かっていた事がしのばれます。

お花・生活道具は、住まわれる方のセンスが光ります。

すべてラスチコで、しっくりとイタリアの自然・風土に とけこんだ住まいです。
イタリアの風が、ラスチコ壁の周囲をそよいでいるようです。
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照明・撮影時間・角度などにより、同じ色調でも視覚的にイメージが異なる場合がございます。
ご容赦ください。
無断の転用はご遠慮ください。copy right: Matsuoka roofing inc.まつおか瓦産業株式会社

ラスチコは、天然顔料による着色のイタリア漆喰です。
どの色にするかを お決めになる際、
「白は、目がチカチカするといけないから・・・」とおっしゃるお客さまも
いらっしゃいますが、天然色のラスチコは、白色も、自然な”白”です。
・・・ご紹介いたします。

ラスチコで基本の”白”というと、
monoシリーズでは”ロレンツオ”、areninoシリーズでは”ビアンコ”という色名になります。

ご覧のように、古色を施した柱にも、しっとりと和漆喰のように調和します。

天窓から差し込む光にも、直射日光が当たらないスペースも、自然色は、おだやかです。

壁も天井も”ビアンコ”(arenino)で仕上げても、シブイ!いや、”Cool!!!”です。

天然色は、白も当然、大人の”しっくり感”があります。

こちらは、”ロレンツォ”(mono)の外壁に、あさひが当たっているところです。

ラスチコには、他に”白系 自然色”もございます。
クネオ 色(mono) ⇒ http://d.hatena.ne.jp/mikamsmatuuu/20110802
リビエラ色(mono) ⇒ http://d.hatena.ne.jp/mikamsmatuuu/20110730
アルジェ色(mono) ⇒ http://d.hatena.ne.jp/mikamsmatuuu/20140509
パンナ 色(arenino)⇒ http://d.hatena.ne.jp/mikamsmatuuu/20110809
アボリオ色(arenino)⇒ http://d.hatena.ne.jp/mikamsmatuuu/20110808
どの色が人気色か?と、よくお尋ねをうけます。それはもちろん・・・、ロレンツォ・ビアンコの”白”でございます。![]()
どの お色も、淡く落ち着いた天然色です。

永くお過ごしになる お住まいに合う自然素材として、是非一度お試しください。
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