イタリア漆喰 ラスチコ

イタリア原産 天然素材の漆喰を直輸入でお届けします。

創業期ものがたり 第 6 話

第 6 話 シゲオ、人生最初の局面                     
      
1941年(昭和16年)真珠湾攻撃を境に、日本国内でも本格的に戦争体制の雰囲気が高まり、神崎村の田舎でも、お祭り事など、全て取りやめになってしまいました。
これにはもう、田舎少年たちは、とうてい納得出来ません!11才で、初めて祭り屋台に乗せてもらえる事になっていた次男・シゲオたちは、この重大な知らせを聞いた日、小学校の勤労奉仕として麦刈りを命じられて、みんな手にカマを持って、列になって畑へ移動していました。
祭り屋台に載って太鼓をたたく晴れの日を、指折り数えて待っていたシゲオ・・・、どうあっても腹のムシが収まりません!その他、同じくムカついている同じ村の男子に合図して、先生の目を盗んで6人が列を離れ、村の屋台庫へ直行です。
当時のゴン太(悪ガキ)は、少々の理性と判断力と少しの屁理屈を持ち合わせていたので、さすがに村の屋台をどうのこうのという気は、全員全く持ち合わせていませんでしたが、・・・でも、やっちゃいました!
たまたま6人全員が手にしていた麦刈り用のカマで、太鼓の革を破ってしまいました。だって、その時は、今度その太鼓が使える日が来る事なんか、考えられなかったらしいのです。

 シゲオは、お察しの通り、先生が手を焼く悪ガキのゴン太くれで、不器用で、あんまりカッコいい事はできませんでしたが、学業で世界が広がったり、知識が増えたり、それで良い点がとれることが心地よく、勉強するのは大好きでした。 2才上の兄・茂の宿題は、いつもおやつ(といっても粗末な食べ物)と引き換えに、シゲオがしていました。 
俊次は、シゲオに、職人としては不向きながら家業を継がせたかったのです。渾身の自分たちの商売の後継は、シゲオだと早い段階から確信していました。 そして長男・茂は、工業専門学校への進学することが、その適正から言っても必要だと考えていましたので、茂は、6年生になるやすぐに、進学したい者が特別に勉強するコースに加わりました。  しかし、前述の通り、2才年少のシゲオが補わないといけない茂の学力では、6年生後半で進学コースから脱落してしまいました。
    
当時は、小学校でも、勤労奉仕がどんどん増えて、勤労奉仕の内容が成績となっていった時代です。
学業が出来ない事は、大した事ではありませんでした。 逆に、公明正大なる裁判官にあこがれ、純粋に志し、早く法律の勉強ができるようになりたかったシゲオは、”学業を教えない学校”に対し、不満のマグマがたまっていきました。
       
 昭和17年、シゲオ6年生の春、師範学校を出たばかりで就任された若い担任・山口先生はシゲオに、旧制姫路中学へ進学の準備を始めるように言われました。同じ学年で、シゲオと西村君の2人は、きっと行けるから・・・と、おっしゃるのです。
シゲオ、天にも昇る嬉しさの反面、自分が進学して家業とは関係のない職業に就いたり、軍の幼年学校に進んだりする事を父・俊次が嫌っているのを知っていました。 

「進学したいけど、お父ちゃんが、ウン言うてくれへんねん。先生から言うてぇな。」と言うのです。そこで、山口先生は、シゲオ宅へ家庭訪問し、父・俊次を説得する事になりました。
      
      
     
      
          
     
次へつづく・・・ 第 7 話 「 戦 況 深 ま る 」 http://d.hatena.ne.jp/mikamsmatuuu/20130926 
      
       
            
       
   松岡瓦産業 沿革・社歴 のページ http://d.hatena.ne.jp/matsuokak/20130923/1379900987
       
   松岡瓦産業㈱ サイトTopページへ  http://www.matuokak.co.jp
        
          
            
             
         
        
          
       
       
        
          
          
      
       
     
      
       
      
        
      
     
     
      
       
      
       
         
       
         
       無断の転用はご遠慮ください。copy right : 松岡瓦産業㈱ Matsuoka roofing inc.