イタリア漆喰 ラスチコ

イタリア原産 天然素材の漆喰を直輸入でお届けします。

創業期ものがたり 第 7 話

第 7 話   戦 況 深 ま る                
        
昭和17年初夏、シゲオ小学校6年生。師範学校を卒業後間もない、新任の山口茂先生は、白い半袖シャツに白いズボン姿で、シゲオの進学を説得する為に、俊次に会いに家庭訪問に来られました。
とは言え、いつものように俊次は、作業着で窯の付近で仕事を続けたまま手を休める事もなく、山口先生のおっしゃる事を聞くありさまです。

シゲオは、山口先生が自転車で小学校を出発する時点から、付かず離れず後を追いかけ、先生が自分の家に到着すると、子ザルのように、チョロチョロしながら、それでも離れて2人の会話を固唾を飲んで聞いていました。
「先生、がんばれ! お父ちゃんが、なんとか折れてウンと言うてくれへんかなぁ〜」
     
山口先生は、俊次が作業に動く後を追い掛けながら、「シゲオなら必ず姫路中学に合格すると保証できる。進学すればシゲオが好きな勉強もできるし、優秀な成績を納める事も十分考えられる。」・・・などと説明していました。 でも、俊次は、「この子が優秀な成績やとして、立派な軍人や軍の技術者になったって、それがなんぼのもんですか?」と、頑として聞き入れようとしません。
シゲオは、法律を勉強して大人になったら裁判官になるという夢はありましたが、子供ながらに、優秀な男子が、陸軍幼年学校や予科練へと進む事を「カッコいい」と思う気持ちもありましたし、進学後にたどるコースは軽く想像できました。 この時、真珠湾攻撃の開戦から2年目。俊次にもシゲオにも、進学することは、いずれ軍隊や戦争に深く関わっていくことになることを意味していたのです。
山口先生は、進学者の為の補講が始まってもまだ、俊次やちかへ何度も説得して下さいましたが、シゲオの進学は許されませんでした。

・・・、シゲオ、小さくグレました。
今では想像もつかない事ですが、シゲオが6年生の頃、進学者用の特別な時間でない限り、小学校でも、畑仕事や薪拾いなどの作業ばかりで、作業の効率や善し悪しで成績をつけられたと言います。そんな作業は、ちっとも性に合わないシゲオ、好きな勉強もしない学校では、野生児のチョー悪ガキとなり、山口先生をはじめ、先生方をホトホト手こずらせたようです。
それでもシゲオ、小学校の卒業式の日には、負けん気の強い母ちかに、学年で唯一、イッチョーラの学生服を着せてもらい、朝から態度 神妙にして、言葉少なし。「蛍のひかり」を歌う頃には、両親と山口先生への感謝の気持ちで胸がいっぱい! 若干12歳、恥ずかしながら、・・・滝のような涙で歌えなかったのです。
学年で唯一のイッチョーラと言うのも、その頃は、卒業式と言えど、子供の晴れの日に、少々まともな服装をさせるのもままならないほどの、物資不足状態でした。

俊次とちかの商売にも、戦争は影響します。開戦の頃は、どんどん瓦を焼いては売っていた時勢はすぐに終わりました。1基から始めた土窯はもう1基増設し、2基となっていましたが、戦況の悪化と共に瓦の需要などなくなり、俊次・ちかも米や畑仕事をする事が増えてきました。
       
         
         
    
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 ・・・ 後日談ではありますが ・・・、 
     

  この約55年後、平成13年、弊社は、姫路市内某所の”山口様”から、直接、古民家の屋根再生工事のご依頼を受けました。

  どんなご縁かもわからず、担当者がお伺いするのに、たまたま筆者も同行しました。
  ひと通りの話が終わった頃、ご老齢ながら 凛とされたお施主様が、

  「松岡の瓦屋さんと言うたら、もとは”馬車道”の東側で瓦しよったったんでしょ? 
   あのヘン、昔は”田原村”いいましてな。

   私はね、教師しておりましてな。 まだ若い時分、あの瓦屋さんに何べんも家庭訪問に行きましたがな。
   今は社長さんかな、いゃ〜もう引退しとってやろか?
   シゲオ君ですやろ? あの子ともう一人、西村君って2人が、よ〜ぅ 勉強ができましてな。 
   勉強させたげたい思ぅて私も何回も 瓦屋さんの現場まで入って話しましたがな。
   シゲオ君は、(学校へ)行かせてもらえませんでしたけどな〜。
   あんた方ぁ、想像もつきまへんやろ。大むかし、そんな時代ですわ。
   
   アタマがエエ子やったというのと、瓦屋さんしとってやというのは、
   私もずっと 記憶に残っておりましたンや。ほんで、このたび、ウチの屋根の工事するンやったらお願いしよう 思いましたンや。」
   とおっしゃるのです。  
 
  ・・・あぁ、この方が・・・、山口茂先生だ・・・。
  不思議なご縁で、偶然その場に居合わせた筆者には、55年くらいの歴史がみごとにつながり、ジンとなりました。

  ちょうどその時、シゲオ(松岡茂男)は、手術を控えて入院中で、山口先生にすぐにご挨拶に馳せ参じる事は
  できませんでしたが、山口先生の言葉を知った時、

  シゲオの その後の人生も気にかけ、覚えて下さっていたこと、
  その昔、ゴン太で、先生をてこずらせた事は一切触れず、今、屋根のお仕事を任せて下さる事 に感動で、
  またも涙ナミダ・・・で言葉にならなかったのでありました。
        
       
           
      
       


          
             
        
次へつづく・・・ 第 8 話 「 終 戦 」 http://d.hatena.ne.jp/mikamsmatuuu/20130927 
         
            
       
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